(今回のアメリカ訪問では、江草・堀が適宜分担してウェブページを作成しています)
| 今年は個別に成田に集合することとなった。 | |
| グループごとになって疑問点を相談した。このグループでは聖徳学園からの参加者が多かった。 | ![]() |
![]() |
左から捨田利(しゃたり)先生、畠山先生。いずれも過去のMTP参加メンバーで、今回は「友の会」のメンバーとしてワシントンまで同行し、サポートしてくれる。 続いて後藤さん、佐藤さん。多摩大学の職員で、スタッフとしてMTPを担当し、研修を実りあるものにするために助けてくれる。 |
もちろん事前準備はあったのだが、それを別にすると今日が実質的なスタートである。 成田空港近くのホテル「ホリデーイン東武成田」に午後2時集合、事前研修会は午後2時30分から石谷みぎわさん、佐藤エリッサさんの司会で始まった。まずジョーンズ享子さんの挨拶があった。そしてお世話になるフルブライトメモリアル基金の職員、多摩大学の職員の紹介があった。その後、各校がメンバーの自己紹介と訪問先の学校名、渡米への抱負などを手短に話した。 続いて、明日の予定について説明があった。移り変わる状況に合わせるため、そしてプログラムをより実り多いものにするために予定は常に改善されていく。だから、昨年度も参加した本校といえども、注意深く聞いていなくてはならない。
アメリカ・シカゴのオヘア空港に到着したときの注意があった。今年からの変更点として到着したすべての人は顔写真を撮られ、両手の人差し指の指紋をスキャナで採取されるという。このことは今年2月に未来都市コンテストに優勝した生徒を引率した佐々木先生からすでに聞いている情報であったが、アメリカの治安についての警戒がさらに強まっているという印象を強く受けた。また、手荷物トランクを問わずライターの持ち込みは一切禁止(これは飛行機爆破への警戒であろう)、ワシントン到着30分前から一切の立ち歩き禁止で万一立ち歩く人がいた場合は飛行機はワシントン以外の空港へ行ってしまう(もちろん首都へのハイジャック行為をおそれてのことである)など昨年から比べても緊張の度合いが高まっていることを痛感した。その他、本は重ねて入れるとエックス線が通らずトランクを開けられる、鍵をかけると検査のため壊されるのでトランクには鍵もベルトも掛けてはいけない、などの昨年と同じ注意を受けた。 その後、グループごとに分かれて質疑応答になったが、私たちのグループには聖徳学園の教員が多かった。昨年の経験などを話した。 終了後、部屋に戻って荷物の整理や休息をとった。
午後6時にロビーに集合。昨年度本校と交流したセントチャールズ高校を訪問する福岡太宰府のひびき高校。また、同校からわずか数十メートル離れたところにある明治学院は聖徳と並んでMTP参加校中たった二校の私立学校(ミッション系の女子校)である。聖徳の教員とあわせて12名で夕食を一緒にとることとした。こういう場は情報交換の場でもあり、他の学校の教育について、また他教科の教育についてお互いに当たり前と思っていたことが他ではそうではないことを知るよい機会である。洋食レストランのバイキング料理は値段からするとがっかりするものばかりだったが、会話のほうは非常に興味深く、長時間にわたり飽きることがなかった。(堀)
本日はアメリカに向けて出発する日である。朝食は6時30分から10時までの間にバイキングスタイルでとる。飛行機のスケジュール上、初めての点呼は午後2時30分までない。それまでの時間は各自で自由に使ってよい。高校チームは9時に待ち合わせた。食事が終わる頃中学チームの湊先生が来たので今日の予定について少し打ち合わせた。その後、高校チームはラウンジに移って、生徒あてのメッセージを書いたり、アメリカ入国の書類をチェックするなど各自個別の作業をした。
11時30分頃、各自の作業が一段落したため、近隣の社会科見学に行くことにした。風土記の丘や遺跡公園など見るべきものはいろいろあったが、時間の関係もあり成田山新勝寺を見学することにした。この寺は真言宗智山派の大本山で創立は932年に平将門の乱を鎮圧する際までさかのぼる。本格的に発展し始めたのは1680年代からという。成田駅まではホテルの送迎バスに便乗し、後は徒歩で15分ほどであった。
アーチをくぐって参道を進むと両側に土産物店が並んでいて、まもなく大きな山門が見えてきた。脇には亀のいる池があり、数十匹が甲羅干しをしていた。百段以上ある階段を上って行くと、絢爛豪華な三重の塔が脇にあり、正面には大きな本堂があった。お参りをしてから中に入ってみると護摩をたく時間らしく信徒が座っており色とりどりの袈裟を着た僧侶が列になって入ってくる。初めての参拝でもあり儀式を見たい気持ちもあったが、時間の制約もあるため私たちは退出し、旅の無事を祈ってお札を求めた。
参道には映画に出てきそうな古いたたずまいの大きな和風建築がいくつかあった。その中の一つに入って昼食をとった。建物のいわれを聞くと歴史がある旅館でその建物は昭和10年の建設だという。三階には大広間があり観世流の名優梅若某が宿泊したのを記念して能楽堂を併設した。しかし交通の発達により参詣客が宿泊しなくなってきたため旅館はやめて、食堂兼土産物店として営業を続けている。今は建物の公開はしていないが、有形文化財への登録を申請しているという。
当地はウナギが名産らしく、江草先生が注文したウナギ茶漬けも、大きなウナギが入っていたのには一同驚いた。帰りの時間は送迎バスがないのでタクシーでホリデイインに帰る。佐々木先生は高校1年のGCの授業で生徒が作成した映像作品をアメリカの学校で見せるためにホテルでデータをDVDに焼き付けていた(GCとは本校独自の総合の授業で、アメリカの心理学者ギルフォード博士にちなんでいる)。レストランで佐々木先生が昼食をとる間バトンタッチしてコンピュータに付き添っていた。2時30分に点呼。荷物を引き取り、2台のバスに分乗して空港に向かう。 空港では搭乗券を受け取った後、「トランクには鍵をかけないでください」など渡米について最終注意を受けトランクを預ける。次の集合は約50分後の4時20分。それまでの間を、先方への日本理解につながる品が他にないか土産物店を見ながら検討したり、最後の日本料理としてざる蕎麦を食べるなどして過ごした。定時前に集合すると手荷物のチェックを受けて出国審査。係員も無表情でだんだん緊張が高まってくる。そのまま一番はしの44番搭乗ゲートまでくると搭乗開始予定時間17時5分の10分前だ。ようやく時間と思ったら搭乗はまずファーストクラスから。運賃が高いから仕方ないか。
予定時間午後5時35分を少しすぎる頃飛行機はわずかに動き出した。止まっては動き止まっては動く。5時55分頃救命胴衣の使用法の案内。その後も動いたり止まったりを繰り返したが、午後6時16分、いよいよ離陸を開始。そのとき一泊したホリデイイン東武成田のネオンサインが左の窓から見えた。体も震えるほどエンジン音が大きくなり、轟音とともに機体が加速し、やがて傾いた。機体が滑走路を離れ、ぐいぐいと上昇していく。離陸と着陸は「魔の11分」といわれ飛行機にとって最も危険な時である。周りを見渡すと目をつむっている人、窓の外の様子を見ている人とさまざまだが、心なしか神妙に見える。
成田山のご加護もあってか無事に飛び立ち、まもなく飛行機は水平飛行へと移り、シートベルト着用のサインが消える。プレッツェルという塩辛いスナックと飲み物のサービスがあった。そのときのお手ふきは消毒薬の量が多すぎ、熱い液体がしたたるほどだった。しばらくすると残骸の回収があり静かな時間になった。西に向かって飛ぶため、外はもう真っ暗である。 午後8時頃(以後しばらく日本時間のまま。シカゴまでは約11時間30分のフライトである)最初の機内食が出た。メインはビーフかまたはチキンとのことだったが、団体客の例に漏れず我々が座る後部座席でがすでにチキンしかなかった。照り焼きチキンと豆もやしの乗った韓国風のご飯、野菜サラダ、パン、バター、チョコレートケーキがでた。機内食は回数を重ねるたびにブロイラーになったような気がしておいしく無くなるもの。せめて一回目はなるべく楽しんで食べた。(堀)
![]() |
マリア先生との初対面。ワシントンの日本情報文化センター(JICC)にて。ここは大使館の施設である。 |
| 大使館(文化担当)の神尾氏。初回からこのMTPに関心を持って尽力してくれている。 | ![]() |
![]() |
有名なリンカーン像の前で。聖徳小中高チーム。 |
| ベトナム戦争で戦没したアメリカ兵の氏名 戦争の大義は別として戦場に立たされた一兵士にとって悲惨さを感じざるを得ない。 |
![]() |
![]() |
アメリカの歴史を展示したスミソニアン「アメリカ史博物館」 |
今日はワシントンでの活動第一日目である。
集合は日本大使館の別館「日本情報・文化センター」に9時である。長旅の疲れをとるため、今日はスケジュールに余裕がある。
JICCはThree Rafayette Centreというビルにある。ビル名の綴りからして伝統がある。そこの地下一階ではじめて相手校のマリア先生と出会う。マリア先生はお名前(Maria
De La Luz Leake)から想像できるようにメキシコ(スペイン)系の女性である。背の高さも小柄で、髪は真っ黒である。美術を教えている。気さくな方でお互いにすぐに親しく慣れた。
ジョーンズ享子さんの挨拶の後、大使館の神尾氏(教育担当)からお話があった。このプログラムを通じて、先生も生徒も日本とアメリカ相互で互いを近く感じるようになって欲しいと、のことであった。
その後、アメリカの教員向けにJFMF,MTPのスタッフ紹介があり、ジョーンズ博士から今日のプログラムの説明があった。コースは昨年とほぼ同じである。ホワイトハウス、ジェファーソン・メモリアル(記念堂)、リンカーンメモリアル(記念堂)を巡って、アメリカ史の重要な場面を知る。その後、連邦議事堂前で解散し、パートナー同士一緒にスミソニアン博物館群(たくさんの博物館の集合体である)を見学する。その中でも特に自然史博物館、航空宇宙博物館を見学することが勧められている。
しかし、実際には解散時間が2時過ぎ。そしてアメリカ人の先生は3時にJICCに再び集合して別の研修を受けることを考えると、アメリカ人の先生達は十分見学することは時間的に無理があった。また、日本の教員達は閉館までの時間を見学に当てることができたのだが、昨年も来た学校の先生で、担当者でない理科以外の教員にとっては、再び自然史博物館を見学するより、他の博物館を見た方が意味があるのではないだろうか。そこで、本校技術担当者は今年はアメリカ史博物館の見学に時間を割いた。
アメリカ史博物館は地上3階建ての広大な建物で、現代の世の中のこと、アメリカンの発展した時代のこと、人々がアメリカに渡ってきた頃のこと、と非常に豊富な資料がわかりやすく展示されていた。これは是非とも来年以降のプログラムに組み込んで欲しいものだと思った。また、地下のミュージアムショップにはアメリカ史についての本だけで膨大な量が整然と並んでおり、一般書店にはない品揃えだ。私も学校で授業のときに使えるのではないかと思い、実物教材(昔のお金や、重要な古文書のレプリカ)、数冊の本を購入した。
閉館時間は5時30分である。外に出て、ホテルまで歩こうかと思ったが、距離がかなりあるため奮発してタクシーを雇った。(堀)
![]() |
校舎への入り口では、在籍生徒もすべて空港と同じセキュリティチェックを受ける。 |
| 各分野ごとに別れ、授業見学やディスカッションが行われた。 (聖徳小中高の理科分野を背負う) |
![]() |
![]() |
全体会では、教員と生徒で作られたプレゼンテーションが行われた。 写真は司会をつとめてくれた英語科主任のジュニース(Janeece)先生。先生のご家族はフランス系とのこと。過去に交流プログラムで北海道網走を訪ねたときの写真を見せてくれたり、翌日のワークショップ終了後にスプリング・フェスティバルに案内してくれるなど、とても気さくで親切な先生であった。 |
| Bell Multicultural High Schoolは、次年度、私立と公立の融合を図る積極的な学校(Community
School)である。 (学校長からの概略説明) |
![]() |
![]() |
私たち(江草)のグループは、数学の授業を見学した。少しずつ見るのではなく、長い間見学できたことはためになる。 |
| パートナー校での授業に向け、練習してみた。 (実は立っているだけの記念撮影で、パートナー校では理科実験を考えている。) |
![]() |
![]() |
校内にはあらゆるアイデアがあった。 (今週の活躍した生徒を表彰していた。本校に戻り、ぜひ理科で試してみたい。) |
| 校内見学や授業見学にて説明をしてくれた生徒会長。時間外に課題をこなすことで、本日は授業を免除されているとのこと。 (私も今担任のクラスに生徒会長がいることを話した。この写真をおみやげに持ち帰りたいと思う。) |
![]() |
![]() |
午後の研修では、講演や技術トレーニングが行われた。 (写真中央のAubinには、昨年よりいろいろと交流を持つ。) |
| 米国教育省のDr.Ray Myers。ホームページへみなさんの意見を送っていただきたいとのことであった。できれば次のようなメッセージを送りたい。 I am a science teather. I am not good at speaking English. This activity (= MTP) gave me inspiration of speaking English, last year. So I can speak English actively, this year. And I am enjoying now. |
![]() |
![]() |
夕方、このような格好でランニングをしている。 (上着のロゴは、アメリカで一番古くからのモーターオイルメーカーである。たぶん私をランニング中、守ってくれるかと思い着ている。) |
本日の午前は近郊にあるBell Multicultural High Schoolへの訪問を、午後にはJICCにて日米合同オリエンテーションを行いました。
〔学校訪問〕
活動:Bell Multicultural High Schoolは、ホテルよりバスで数十分のところに位置する、学区を定めず、あらゆる国の生徒が集まった学校でした。食堂にて、全体に概要説明があり、のち分野ごとに8班編制で授業見学、現地教員教員を交えたディスカッション、そして全体へ生徒による出し物が披露されました。
印象:次年度より経営面にて、私立と公立の融合を計画しているとのことでした。全体への学校紹介や生徒による発表(詩の朗読や踊りと生演奏など)、または出国前の時点で用意されもらっていた資料などは、生徒達への活躍の場を与える目的だけでなく、学校としての積極性を強く示すものでした。本校のような私立学校が公開授業を行う際の資料となりました。
本グループのディスカッションでは、化学と数学の現地教員との質疑応答がなされ、私は高校1年生の化学で使っている演習プリント(韓国からの生徒のために英訳しておいたもの)を見てもらい、本校とのレベル差を探りました。到達レベルは同じようですが、習得時間が本校では短いようでした。
校内見学にて、常に説明してくれた生徒は生徒会長で、彼自身立派であることに加え、学校側の許容に驚かされる事実でした。また校内にはあらゆるアイデアがあり、本校でも試してみたいと思っています。また、同行されていた公立の日本の先生方より、これらのアイデアを取り入れられない話も伺い、加えて勉強になりました。
〔日米合同オリエンテーション〕
活動:ホテルのすぐ裏側に位置するJapan Information & Culture Center
(JICC)にて、Dr.Jonesによるスピーチ、米教育省Dr.Ray Myersによる講演、BLOGとテレビ会議に関する技術トレーニングがありました。
印象:昨年に続き2回目であることから、深い内容理解へのレベルアップにつながりました。時間が許せば、さらに積極的なことができるよう感じました。事実、パートナーとの合同プレゼンテーション予想し、おそろいの法被を日本より用意していたのですが、出番はありませんでした。
また、専門分野の協力だけでなく、多分野の習得性を考えさせられた時間を過ごしました。理科の教員でも英語が話せ、パソコンを駆使し、教育へ携わる努力をこれからもしていきたいと思っています。
〔生活〕
成田に続き、ここワシントンD.C.でもランニングを行いました。ホテルのコンシェルゼに安全なコースを教えてもらい、本日はワシントン2回目です。街中を抜け、リンカーン記念堂付近の公園を周回し、ストレッチと軽い筋トレの後、帰ってきます。ちょうど記念堂へ夕日が落ちる頃で、雰囲気もよく、明日への活力となります。ホテルに戻り、『ロッキー』と呼ばれ、一年前、ロッキーのようにこの街と記念堂を走ってみたかったことを実現できた喜びに気づきました。(江草)
(江草先生、スプリングフェスティバルが開かれるはずの公園で分かれたところまで)
本日はワシントンからサンアントニオへの移動日である。朝食、チェックアウトを各自済ませて朝8時30分にロビーに集合。小中高で三台のタクシーに分乗してレーガン空港に向かう。途中の高速道路で車窓からアーリントン墓地やアメリカ国防総省が見えた。約30分で空港に到着。空港でのセキュリティチェックの混雑を警戒していたが、それほどではなかった。しかし、手荷物からパソコンを出すことはもちろん、靴を脱いで、ズボンのベルトをはずし、コート・上着まで脱がされるのにはすでに慣れたとはいえ、厳しいものである。
いったんシカゴまでの飛行機に乗る。ここまでは他の学校の数人の先生や帰国するJFMFのスタッフも同じ便に乗る。JFMF御用達のユナイテッド航空はシカゴをハブ空港にしているので、どこに行くにもシカゴ経由になることが多い。
数時間のフライトの後サンアントニオに到着すると、雰囲気が違う。気候が温暖だし、地方都市だからということもあるかもしれないが、人々の服装がラフで半袖半ズボンの人もちらほら見受けられる。マリア先生達は生き返ったようになって「ワシントンは寒かった。ここは季候がいい」と口々に言った。
しばらくすると空港にマリア先生の夫クリント氏が自動車で迎えに来てくれた。ちなみにマリア先生の愛車はホンダのアコードである。アコードといっても日本・ヨーロッパで売られているものとシャーシ(車台)は一緒だが、ボディは大型化されたアメリカ版である。なお、夫クレン氏はトヨタ車に乗っているそうで、日本の自動車がごく普通に使われていることが肌感覚としてわかった(昨年お世話になった先生達はアメリカ車に乗っていた)。
サンアントニオは全米でも指折りの大都市だそうだが、全体的に観光都市の色合いが強いように思う。街の真ん中に作られたリヴァーウォークにはひっきりなしにディズニーランド顔負けの観光ボートが行ったり来たりし、その両側にはレストランや夜店が並んでいる。その晩は、この街を代表するメキシコ料理のレストラン「Casa Rio」でご夫婦から歓迎を受けた(ちなみにメキシコのことは「メヒコ」というのが現地での呼び方だとか)。
本日からは学校に実際に学校に入っての活動となる。私たちがお世話になるのはサン・アントニオ市の中心街から程近いフォックス・テック・ハイスクールである。生徒数は総勢1700人。どんな学校かと期待と不安に胸をふくらませながら(ありきたりの表現ですみません。でも本当です)車で案内される。
学校はコンクリート造りの三階建てで、スクールマスコットはバッファロー。至る所にイラスト画や彫刻が置いてある。アメリカの学校はシンボルを決めて
本日から今回の研修旅行のハイライト(フォックス・テック高校での理科の授業実践と社会の授業見学)が始まる。ホームページでの報告はそれぞれの担当者が別ページで行うので、どうぞクリックしてご覧下さい。
昼ご飯はメルカド
晩は江草先生は片付け。私は市立博物館で見学。その後、ドイツレストランに行くが閉店だったため、スーパーで果物を買った。サブウェイで買ってマリア先生の家で食べる。
昼はペアプロジェクトの実地検分。その後、美術学校の古い校舎を使っている雰囲気の良い食堂で食べる。
晩はトップ・オブ・アメリカズというサンアントニオ1のタワーの屋上の回転するレストランで食事
午前中は茶道
リヴァーセンターでイタリア料理の昼食
シンディ先生が来たので、私たちは一緒に川下りのボートに乗る。マリア先生は急いでバーベキューの準備。
シンディー先生のホテルで朝ご飯。そして、湖にピクニックに行ったが、ボートは時間を逃して乗れなかった。ワイナリーに寄って試飲。その後、湖の畔で晩ご飯。メキシコ料理。バスケットボールの観戦。アイリッシュパブに行こうとしたが、満員だったので、スポーツパブでストロベリーマルガリータをのむ。
朝ご飯は観光地ではない郊外のメキシコ料理店に行き、郵便局で日本の学校宛の荷物を発送する。グロッサリーストアでおみやげを買う。マリア先生の家でデザートを食べる。元々はシーワールド(大規模な屋外水族館)を訪れるはずだったが、雨のため中止に。
ネイティブアメリカンにキリスト教を伝道する施設(ミッション)を見学。その後、ホテルで自由時間。荷物のパッキングや散策など。午後5時に再びマリア、クリント、シンディと再会し、郊外のアメリカ式のハンバーガーレストランにいく。その後、ホテルの部屋でしばらく飲んで10時過ぎにお客さんは帰る。
午前4時半に小中高でタクシーに分乗し、空港へ。飛行機は6時30分。デンバー経由で日本へ。